みなさん、こんにちは。
東京アラフォンヌのロミコです。
さて、ロミコは小倉出身の友人のガイドで、北九州の小倉と門司(もじ)周辺に潜入してまいりましたので、ご紹介いたします。
Contents
北九州は日本の近代化産業と貿易の拠点として活躍
北九州は、明治から昭和にかけて、八幡製鉄所や筑豊炭田をはじめとした日本有数の工業地帯として、日本の産業の近代化を支えた地域です。
また、関門海峡を挟んで本州に接している立地から、門司は昔から交通の要所でしたが、明治以降に門司港は外国航路の拠点、日本の三大港(神戸、横浜、門司)といわれ、貿易港として急速に発展しました。
その当時に銀行や商社がこぞって支店を作り、それらの建物が現在では「門司港レトロ」のランドマークとして新たな輝きを放っています。
小倉駅から出発
JR小倉駅から門司港駅まで鹿児島本線で約15分、門司から下関までJR山陽本線で約7分です。
小倉と門司、門司と下関がめちゃくちゃ近いことに驚きました。
陸続きじゃないと近いイメージが持てないのはロミコだけでしょうか。
やはり訪れてみないと気付かないものですね(汗)。
門司港駅に到着
時代を感させる雰囲気がたまらないホームに到着。
当時から変わらぬ仕様なんでしょうか。
ソテツと古い車輪がイイ味出しています。終着駅の車止めに旅情を感じます。
リゾートのような、南国のような

門司駅の歴史は古く、なんと大正時代に建てられたそうです。
駅舎は国の重要文化財に指定されています。残念ながらロミコが訪れた時は修復中で、残念ながら駅舎内は見学することができませんでしたが、他の場所は現役で活躍していました。
エレガントな雰囲気漂う水飲み場「帰り水」
電車を降りると「帰り水」と書かれた水飲み場がありました。
名前の由来は、戦後の引き揚げの方々が、門司に上陸して安堵の思いで喉を潤したところから「帰り水」とよばれるようになったそうです。
大正13年から現役バリバリ

お隣は洗面所
「帰り水」のお隣には洗面所があります。まだSL機関車が走っていた時代、からだについた煤を洗い流すために、使用されていたそうです。
どれくらい煤がついたのか定かではないですが、歴史を感じさせるエピソードですね。
門司港レトロ地区をブラロミコ
さっそく、門司港レトロ地区を歩いてみます。
マップを見ると、旧門司三井倶楽部、旧門司税関に門司郵船ビルなどが点在しており、これら建物の名称からも門司港が貿易の拠点だったかうかがえますね。
旧門司三井倶楽部
大正13年に三井物産の社交倶楽部として建てられた西洋風木造建物です。
相対性理論と舌を出したお茶目な写真でおなじみのアインシュタイン博士が、全国を講演するために来日した際に、こちらの館へ宿泊されたそうです。
宿泊されたお部屋は当時の様子を再現されており、見学することができます。
気品漂う旧門司三井倶楽部

北九州市旧大阪商船
八角形の塔屋が印象的な北九州市旧大阪商船は、「わたせせいぞうと海のギャラリー」があり、ギフトショップも併設されています。門司港レトロのオリジナル土産や地域作家の作品の取り扱いがありました。
こちらは大正6年生まれ

ロバート秋山の父の「焼きカレー」遊覧船
船溜まりには、門司港名物「焼きカレー」がいただけるお笑い芸人のロバート秋山父の遊覧船が停泊しています。謎ですが、それもまた門司港の懐深さなのでしょう。
恐るべし!ロバート秋山の父ブランド

門司港レトロ展望台
門司港レトロ展望台は、有名建築家・故黒川紀章氏がデザインされた高層マンション・門司港レトロハイマートの31階にある展望台です。
国際記念友好図書館(左)と展望台が入った門司港レトロハイマート(右)

エレベーターに乗車すると、「バナナの叩き売りの口上」が、いきなり放送されるので驚きました。
さすがは、発祥地!
展望台スペースには、カフェも併設されているので、絶景を楽しみながら、一休みすることもできます。
周りに高い建物が全く無いので、門司港の街並み、下関や関門海峡などが一望できます。
関門海峡あたり

宮本武蔵と佐々木小次郎が勝負した巌流島もよく見えました。
北九州市立国際友好記念図書館
展望台から降りるとすぐ近くに、北九州市立国際友好記念図書館があります。
かつて中国の大連市と門司港は、国際航路で交流が盛んだったそうです。
昭和54年に友好都市締結15周年を記念して、明治時代にロシア帝国が大連市に建築した「東清鉄道汽船事務所」をそのまま複製し、建築されました。
なるほど!だから1階は中華レストランなんですね

港付近を歩き回り、疲れてきたので、戦前から続く角打ち店でひとやすみ。
「魚住酒店」は、角打ち通の間では、かなり有名なお店として知られています。
こちらの角打ちは【小倉・門司】本場角打ち巡礼3軒でご紹介しています。
魚住酒店から、次にご紹介する料亭「三宜楼」は、目と鼻の先なので、当時はお酒の配達に通っていたかもしれません。
三宜楼(さんきろう)
門司港が繁栄していた時代には、数多くの料亭と花街があり、中でも三宜楼は、三大料亭の一つと言われ、昭和初期に建てられた九州最大級の木造三階建の高級料亭でした。
風格は健在です

平成26年にリニューアルして、現在では無料で見学ができます。
艶っぽいエントランス

一階には展示室があり、当時の政財界の大物や文化人がこちらの常連であったことがうかがえる手紙や写真など見ることができます。
戦後はGHQの社交場として、ダンスホールなどに使用されたこともあったそうです。
この料亭は、激動の歴史を見守り続けてきたのでしょうね。
能や踊りが披露された百畳間とよばれる大広間が二階にあり、荷運び用のエレベーターが設置され、当時はかなりハイカラだったことでしょう。
最先端のエレベーターが設置されていた場所

日本の近代化を支えた方々がこの料亭で日本の将来を語り、この窓辺から見える門司港を眺めたと思うと、なんだか胸アツになりますね。
今でも良く港がみえます

まとめ
門司港が全盛だった当時の面影を辿る街歩きをしていると、ロミコの気分は、すっかりモダンガール(笑)です。
明治から昭和にかけて、港には多くの外国船が停泊し、駅にはSL機関車が、商業エリアには商社、銀行と財閥系企業のレンガ造りの建物の前を忙しく歩く紳士淑女の姿が、そして夜になると、グッと艶っぽくなる料亭と花街が、この街にあったことを感じました。
小倉とは違う魅力が光る門司港は、これからますます人気の観光地になるでしょうね。
スゴカ北九州!
by ロミコ
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